蔵のご紹介|大倉本家

蔵のご紹介
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蔵のあゆみ

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明治29年(1896年) 大倉勝治商店として創業。
以来、吟醸酒には「速醸酒母」も用いますが、それ以外は普通酒に至るまで、すべて山廃酒母で仕込んでいます。

昭和7年頃より 奈良県神社庁の委託を受け、「御神酒」造りが始まりました。
戦時中 原料米を入手するのが困難な状況においても、品質第一のお酒のご提供をさせて頂き、戦後2代目勝治のもと、販路を拡大させて頂けたと聞いております。
※濁酒用のお米は 供出米から外されていたようです。


img3代目勝彦のときに 特定名称酒醸造を開始しました。
地元で強い地盤を持たさせていただけ、最盛期は年間6000石近い販売量がありました。
この間 全国新酒品評会で金賞をいただいたこと数回。
しかし、諸々の事情で平成12年秋の濁酒の仕込みを最後に、休造を決断します。
創業以来はじめて 蔵は酒造りのない冬を経験することになりました。

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その後 横浜より隆彦(現4代目蔵元)が戻り、酒造り再開に向けて先代と話合いを繰り返します。
何とか再開を了承していただけたのは、組合の平成15年度原料米申し込み期限の前日でした。

11月中旬、長年「金鼓」で指揮をとって下さっていた杜氏の皆さんが蔵入り。
3年ぶりに酒造りを再開させて頂くことになりました。
この時 休造前に仕込んだお酒の在庫が底をつきかけていましたので、再開初年度はお酒が出来るとすぐに、瓶詰めに追われる日々でした。


img平成12年休造を機に、翌年以降の神社庁への御神酒の納入は、他社様にお願いすることとなりました。しかし、「代々守られてきた『水もと仕込み』の伝統を、私たちが絶やしてしまってもいいのだろうか」との思いから、濁酒製造免許※は税務署にお返ししていなかったことも幸いに、地酒専門店の方々のお力添えのもと、蔵再開2年目の平成16年より濁酒の仕込みを再開、製品化を試みております。(それまで濁酒は御神酒用にのみお造りしていました)
※現在は「その他雑酒免許」と分類

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同年より 休造以前から地元の地酒専門店さまのプライベートブランドとして、お世話になっていた「大倉」商品を、メーカーブランドとして販売開始させて頂くこととなりました。

休造に至る過程、結果として3年間の休造中、蔵再開が決まった瞬間、そしてまたお酒に携わっていられる今日‥
皆様のご支援がなければ、今こうしていられたでしょうか。
だからこそ皆様への感謝の意を込めて、「近道せず ごまかさず」、質の良いお酒を目指します。
創業以来の山廃仕込みで醸す「懐の深い味わい」を蔵の個性に、今冬も酒造りに励む所存でございます。

-酒は本来 素朴・端正をもって極上とする-  大倉本家




蔵元紹介

  • 四代目蔵元

  • 再開15期目を無事終えることができました。
    また蔵元杜氏として6度目の造りをさせて頂きました。
    まだまだ浅い経験ですが、毎年 見聞き感じたことはすべて、翌年に生かして行こうと決意の日々です。
    単なる嗜好品ではなく、先人たちの努力と知恵の賜物である酒「金鼓」「大倉」を、今後も大切に育ててまいる所存です。

    蔵のキーワードは「山廃」と、「自家栽培米ひのひかり」、そして「水もと仕込み濁酒」。
    創業以来 頑なに守り続けてきた山廃仕込み、それこそは「金鼓」「大倉」の味を形成するもの。蔵復活にあたり、その伝統の秘技を余すことなく継承するのが、私どもの責務と考えました。
    また 地の水・空気・太陽で育った「ひのひかり」を使用することで、本来の地酒屋を目指します。 
    ※【地酒】その土地でできた酒(風土 米 すべてにおいてMade in 鎌田の酒)
    「酒は本来、素朴・端正をもって極上とする」、この家訓。


    休造は私どもにとって、原点に立ち返り、新たにスタートを切らせて頂いた好機だと考えております。
    「伝統」と「若さ」を「金鼓」「大倉」にうまく融合させ、個性ある質のよい酒造りを目指し、技術の研鑽に励んでまいる所存でございます。

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